ドノロンパンのたぶん更新しない日記

説明なんか無い。

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Yo ho yo ho a pirates life for me.♪ 俺たちゃ海賊 第一回


さて海賊生活に触れる前に、当時の一般商船の話をしなければならない。
1687年から1740年の海賊黄金期、一般商船船員の平均的な月給は25~55シリング、年収15-~35ポンドとなっている。
彼らは過酷な労働条件下であるが一体どれくらいの価値のある給与なのだろうか?。
次に陸の生活を見てみよう。
裕福な商人は年収100ポンドを超えるが、一般の職人や賃金労働者は家族4人がやっと食べていける程度に稼いで年収80シリング4~5ポンドほどである。

さすがにこれにくらべれば何ヶ月にも及ぶ長い航海と、自分の命を賭けなければならないリスクはあるが、金も土地も学も無く、持っているのは頑丈な体ぐらいという男達にとって、年収20ポンドというのはそれなりに魅力的ではある。現在でいうところのマグロ漁船に近い感覚で見てもらえれば大体わかると思う。
ちなみに当時の英国貴族の平均年収は2800ポンドである。

だが、商船には明確な船主がおり、もちろん船員の月給は船主が払うわけであるが。その船を船主の意図したとおりに扱う現場指揮官つまり船長は特別に雇用しなければならなかった、一般船員はその場で集められた有象無象の集団であっため、まとめ役は必須だったのである。
そのため商戦は船長、甲板長、船大工ら特別職に指揮命令系統が約束され、その下に船乗りが配置されるという確固たる縦社会であった。
この構図は洋上という限定された空間において船主直下の船長に権力が過剰に集中してしまうという結果が容易に想像出来るが、船主側も船長に指揮権を与えることで全体的な賃金の支払いを抑えることができると考えたことから船長、甲板長などの役職者と一般船員では待遇が全く違った。

図式にすると
・船主(貴族、商人が出資いわゆる株主)
・船(出資された以上の利益を生む、会社)
・船長(目的を達成し積荷を持ち帰る任を直接請け負った役職者、成功報酬有、取締役といえる)
・一般船員(季節労働者、月給制、船主に属しているわけではない非正規雇用者)
といった具合に見てもらうとわかると思う。

これは私略船であっても同様である。(最もこちらは軍隊色が強かったが。)

要するに貴族たちは自分達の目の届かないところで行われる航海という事業を行うにあたってその代理として船長を選出したのだ。
食料、懲罰、賃金に至るまで全ての権利が船主から船長に移された。

こういった構造的な問題から一般商船員での待遇は劣悪だった、貴族と船長の利益と船員の利益が噛みあっていなかったからだ。安全で快適な作業環境で稼ぎたい船員と経費をかけずに事業を遂行したい船主の意向は真っ向から対立してしまう。
その為、船長に過大な権限が与えられるに至った。

結果的に当初の契約など洋上では無視され、食事や娯楽は厳しく制限され、理不尽な懲罰行動が過激化した。懲罰的に賃金を減らしたり払わなかったりする権利を船長に与えていたため賃金の横領や搾取さえ当たり前であった。
船長は成功報酬が約束されていたし、また船主たちも基本的に成果しか興味は無かった、船員が何人死んでも積荷が港に届けさえすれば良かったのである。

こういった背景から合理的に見て如何に船員を低予算で使い潰す能力が有能な船長の条件となった
当然ながら強権的な能力を発揮できる船長が有能であるということになり、船上では理不尽な搾取、懲罰行為の繰り返しや経費のちょろまかし、こういった行為は日常茶飯事となった。
商船上の船長はまさしく暴君と化していた。

船長は船長室で豪華な食事を平らげるが、船員は狭い船室を交代で使い、漬物、干し肉を毎日食わされる、少しでも航海日数(ノルマ)を減らすため不休で働かされる、怠けへの見せしめとして肉体的懲罰行為(ムチ打ち)を容易に行う等。
はっきり言って合法であるという点で商船の船長は海賊よりよっぽど性質が悪いといえる。全般的にこの時代の商船船長はこの待遇格差から船員からは良く思われていなかった、もっというなら恨みをかっていた。
かといって反乱を起こしてしまえば、船長を駆逐したところで積荷を本国に届けなければ金にならないし、報酬も支払われない、その上罪人、貴族を敵に回すとなれば重い刑罰は避けられない。
本筋とは関係ないがこの時代の商船はいわゆる三角貿易時代であり奴隷貿易が行われていた時代であったことも明記しておこう。

この理不尽な船上生活に嫌気がさしていた船員はなかなかに多かったのである。

では、海賊はどうか?

報酬は?待遇は?

海賊には船主というものが存在しなかった。
そのため、彼らはなんらかの責任を負った集団ではないし、明確な利益目標も持っていなかった。(もちろん野心はあるが)
月給を払う船主がいないのだから、自分達の稼ぎはそのまま自分達へフィードバックされた。
そのため彼ら権限はなにも保障されておらず、彼らは自分達で自由に物事を決めることが出来た。
例えば、船長だけが豪華な食事、水夫達は不味い飯という極一般的な商船の身分制度を履行する理由は何一つなかったのである。また、これは報酬に関しても同様だった、海賊行為に成功したとして、略奪品がだれに所有権があるのか?といえば俺たちゃ海賊というとおり、もちろん海賊達の報酬となった。

極端な例を挙げよう。
海賊ジョン・エイヴァリはインド、ムガール帝国の船団を拿捕し、500万ポンドの財宝を略奪することに成功した!。
一介の船乗りの月給が20ポンドであるのに対し500万ポンドである、貴族の年収をもはるかに上回る戦利品をたった一度の海賊行為で手に入れた。海賊達は2000ポンドから5000ポンドの分配を得ることが出来た。
もちろん、これらは最初から約束された報酬ではない。
航海に出て獲物に恵まれないというのは容易に想像できるはずだ、そういうときは大抵沿岸の町や村を襲ったが、物資補給目的で開拓地の村での戦利品は微々たる物であった。

だが、この一見すると良いことずくめの権力者が存在しない自由・平等には弊害があった。
自由、平等であるがそれゆえに、何かをさせる、させないという基本的な事柄をどうやっても権力なしには履行できなかった。結局のところ自分以外の他人をどう扱うかを自分達で決めなければならなかったのだ。
想像してみて欲しい、国籍も人種も言葉もバラバラな筋肉モリモリのおっさん達が何日も同じベットで寝起きし、狭い船内を風呂も入らず徘徊し、同じ釜の飯を食う、どうやって共同生活をおくるのだろう?

そうだ、勘の良い方ならすぐに思いついただろう、有名な海賊の掟のを用いたのだ。

海賊の掟とはバッカニア時代から海賊達の間で用いられたもので、基本的な海賊達の決め事を掟として定めたものだ。
要するに国家に憲法、海賊に掟である。

バッカニア時代はいつだっただろう?
そう、1650年代である、フランス革命は?1789年!!!海賊達は実に先進的である。
(この海賊の掟は無法者が民主制を
先取りした奇妙な産物として欧米ではとても有名で、パイレーツオブカリビアン等、海賊映画で散見することができる。)

海賊達は自分達の定めた海賊の掟を守ることによって共同生活を円滑に行うことに成功した、無制限の自由を不自由に縛ることで共同作業を遂行することが始めて可能になったのである。
基本的なバッカニア規律は三つだ。
1) 戦利品を平等に分配する。
2) どこに航海するかは投票で決める。
3) 特別分配は事前に取り決める、船医や大工などの特別職、戦闘で怪我をした者には通常の分配金より多くの報酬が取り決められていた。

これを発展させたのが、18世紀の海賊達だ。

彼らはかなり細かな取り決めを行っていた。
何故なら、ある海賊がただ単にバッカニア的な古い掟で誘ったとしても、さらにメンテナンスの行き届いた掟を掲げる海賊がいればそちらのほうが魅力的に思われるからだ。
こうして、海賊達の掟は次第に水夫達に魅力的なものつまり、不自由なものになっていった。
最も有名なものはロバーツ・バーソロミューのもので、書き出すと切りが無いが。

・ 投票権は全員平等に有し、食料、酒に関してもこれを得る権利を平等にもつ。(もちろん船長もこれに含まれる。)
・ 窃盗の禁止(死罪)
・ 夜間の飲酒喫煙禁止。
・ サイコロやトランプ等金品を賭けた賭博禁止。
・ 女性の乗船禁止
・ 武器の手入れを行うこと
・ 戦闘からの逃亡の禁止(死罪)
・ 喧嘩の禁止、いさかいの決着は決闘で行うこと。
・ 全員が1000ポンドの利益を得るまではこの生き様を辞める話をしてはならない。
・ 船長と甲板長は分配額を各水夫の2倍とする。

といった具合である。
ロバーツの掟は特別細やかに規定していたことで有名だが、どの海賊であっても同じような掟があり、逆に言うなれば無法世紀末な船上では掟なくして満足に航海すらできなかったということである。

大前提として基本的に甲板長、船長は海賊達の投票によって選ばれるよう規定されていた。
(一部に私財で船を調達した海賊もいるが。基本的に海賊船は奪った船である。)
その為、船長は海賊達に選ばれなければならなかった。
よくある、誤解の一つに海賊船長が無意味に部下を殺す、悪辣非道の悪魔といったイメージがあるが、そんなことをすれば現実では解任一直線である。
だが、逆に安易に船員に媚びるような船長は無能だと判断されてしまう、ここは政治の舞台ではない!船上だ。
海賊船長には戦闘で商船を制圧する士気能力、商船の航路を読む能力、そして運!が必要とされた。
船長にとって戦闘時は特に水夫以上の能力を示す特別な努力しなければならなかった。時には勇猛果敢に、あるいは残虐非道に振舞い己の力を誇示する必要があった。

だが同時に船員達にとっても平等をもたらす船長であり、同時に尊敬を得られるような振る舞いをしなければならなかった、なにせ同意海賊の一人1票は掟によって確定事項であるからである。

このような背景から商船の船長のような搾取はもってのほか、見せしめの体罰で権力を得ることは不可能だ。
船長派を作って多数派とし船長としての地位を確定したとしても少数派が離脱してしまえば(こういうことは往々にしてあった。)話にならない。
すべては、海賊団のための船長であり船長のための海賊団では無いのだ、船長(船長立候補予定者)は選挙のため引いては海賊団全体のために振舞う必要があったのである。

前項で海賊達は敵船長を逃がしたエドワード・イングランドの行動に怒り船長解任投票を行ってエドワード・イングランドは船長の座を追われ無人島に置き去りにされた。と記したが、こういった背景から船長といえど投票で解任され無人島に置き去りにされることさえありえたのである。

そのため、戦闘時以外となると船長はただの水夫と同様に扱われた。
一般水夫とねぐらをともにし、同じ部屋で寝、同じ飯を食った、戦闘時以外は一介の水夫をなんら変わりない船上生活を行っていた。
これもよくある誤解だが海賊船には船尾に船長質があって、壁に世界地図を張り地球儀を飾り提督机を配置したような豪華な船長室はほとんど無かった。(これは海軍の提督室だ。)大船団の船長ともなるとそうでもなかったが、所詮はスループ、お察しである。
獲物の取り分は2倍であるから単純に考えて非常に良い地位であるが、2倍の取り分に見合う働きをするかどうかは、船員からの敬意、カリスマ性も含めて非常に厳しい選挙戦を勝ち上がらなければならなかったのである。


どうであろう?
読者達から見て海賊船長の見方は少しは変わったかな?
海賊船長は民主的な選挙で選ばれた大統領であった、と言っても過言ではない。

次回ももう少し海賊達の洋上生活を海賊個々の視点から見てみよう。
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| | 2014年06月22日(Sun)01:23 [EDIT]


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