ドノロンパンのたぶん更新しない日記

説明なんか無い。

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大航海時代と壊血病

さてこんばんわ。

今週は世界不思議発見がないのでお休みしようかと思いましたが。
何も書かないと言うのも個人的に一週間のサイクルに問題があるのでちょっとした小話を。

時は大航海時代、大航海時代という区分けは非常に抽象的ですがとりあえず1492年のコロンブスのアメリカ大陸発見から1869年のスエズ運河の開通までとしましょう。

当時の帆船航行において壊血病は恐怖の象徴でした。

壊血病は今でこそビタミンCの欠乏症であることが一般常識となっていますが、当時はまだその知識は無く、当時の医学も医学というよりまじないに該当していました。
当時の医学は古代ギリシャ時代からほとんどかわらない体液理論を基礎として用いていたのです。
体液理論とはギリシャのヒポクラテスが提唱し、ローマ帝国のガレノスが纏め上げた古代医学です。具体的には人体が体液によって制御されているという理論です。中世の人々は病の正体がわからないため、体液のバランスが狂うことで人は病になると考えていました。
このため、あらゆる食事が体液のバランスを是正するために有用であると考えていました。
この考え方は直感的に理解しやすく、また、様々な歴史上の経過知識もこれを肯定していたため、イスラムから中国まで世界の文明に広まっています。
この考え方は科学的ではありませんが、蓄積された歴史を基にしているので直感的に理解しやすいです。
例えば、牛肉が冷で小麦が温、コショウは温で青野菜は冷などと全ての食べ物が冷と温に分類されていました、この食物の区分けは文明によって様々に異なり、ところどころ互いに矛盾していますが、例えば風邪を引いた状態を人体のバランスが冷に傾いたと考え、冷の食事を採らず、温の食事を採るといった感じで非常に理解しやすい医学だったのです。
現代にこの体液理論の面影を色濃く残しているのは漢方薬ですね。

さて、当時の医学が神秘主義的様相を帯びていた中。航海中に発生する壊血病は正体不明の悪魔でした。
ビタミンCを体内で合成できない動物は人間と一部の霊長類そしてモルモットだけです。たいていの動物はブドウ糖からビタミンCを合成できることから、これは人間の持つ生物学的欠陥と言えるでしょう。このことから人間は果物を主食とするサルから進化したのだろうかな?などという仮説ができますがこれは私の妄想でございますw

ビタミンCが欠乏すると細胞同士をつなぐコラーゲンが不足します。コラーゲンといえばおはだつるつるですが、細胞同士をつなぐと言う重要な役割もあるのですね。
コラーゲンが欠乏しだすと、毛細血管が崩壊し始め、体中の細胞から出血が起こります。
具体的な症状は倦怠感、関節の痛み、軟骨部分での出血が起き、そして最も象徴的なのは歯茎からの出血、歯茎の壊死です。歯がぐらつき、重度の歯槽膿漏となり痛みで物が噛めなくなります。
関節が硬化し、歯が抜け落ちていく様は恐ろしいものがあったでしょう。

ビタミンCを全く採らずにいた場合、壊血病の進行が致死に至るまで、個人差はあるもののだいたい90日がデッドラインと考えられています。

リスボンからインドを目指す場合、最短距離をとっても90日はゆうに越えてしまいます。
セビリアからベラクルスまで100日から130日、このような航海において何が起きるかは全く定かではなかったのです。
初期の航海では食料自体が尽きることは稀ではなく、壊血病の正体がわからないため、そのための積荷も無く、またそれを知ったとしても保存しておく技術もありませんでした。
ビタミンCは酸化しやすく、また、最も食料を調理しやすい加熱によって、ビタミンCが失われてしまうという無残な事実です。
現代、最も壊血病に効果的と思われるものはクロフスサグリ(ライムの8倍のビタミンC含有量)でありますが、それらが船に積まれることはありませんでした。

そのため、多くの航海が死と共にあったと言えます。
1497年から1499年のバスコ・ダ・ガマの初めてにインド航路往復は行きも帰りも洋上で90日以上を費やしました。歴史上初めて壊血病の惨禍にみまわれたのがこの航海でしょう。
乗員180人のうち100人がこの病で命を落としました。この航海中ほとんどの船員たちは原因不明の奇病にかかり、腐って落ちる歯をなんとか消毒しようと自分の尿で口をすすいだと言われています。

1520年のマゼランの航海においても壊血病は猛威をふるいました。この航海は食料が早々に尽いてしまった(船員の恐怖によって反乱が起き食料を積んだ船が離脱してしまう)という不幸があったため様相はかなり悲惨なものになりました。
航海日数は100日を越え、太平洋フィジー諸島にたどり着いたときには腐ったビスケットを食べぶくぶくに膨れ上がった歯茎で帆をつなぐ皮をかじると言う有様でした。
フィジーにたどり着いたマゼランは現地人の村を襲い村民を殺害して食料を強奪しています。フィジーまでの航海で21人が壊血病によって命を落としています。

当時、壊血病は謎の病でした。長期的な航海に必ずと言っていいほど発生したため。
船医たちの洞察は塩分と湿気、伝染病に向けられていました。猥雑な船室と長期に晒される潮風が何らかの影響をあたえていると考えていたのです。

新鮮な食べ物に効果があると気が付き始めたのは16世紀も後半になってからでした。
当時壊血病は冷に分類される病でした、レモンやライムなどが温に分類されていたためこれらを用いることに何らかの効果があるのではないか?と人々は推測したのです。

1560年代にスペイン語圏アメリカでは壊血病にパイナップルが有効であると発見されていました。壊血病に苦しみながら現地に到達する船が多かったためこれを用いることが有用だと経験によって発見したのです。しかしこれは現地の人間の間だけにとどまりました。

1569年にはすでに探検家セバスチャンビスカイノが新鮮な食料によって壊血病から回復できることを発見していました。といっても、何によってではなくとにかく大量の色々な食物を与えることで壊血病から回復するという実際面において運用された知識です。
これらは船乗りの知識として蓄積されていて、イギリスやオランダの船員達はなんらかの新鮮な果物を用いていました。しかし、こういった治療法は思い込みや言い伝えによるものが多く中には海水を飲ませたり、ミョウバンを飲ませたり効果が定かでなかったものも多いです。

新鮮な何かという回復方法を見つけたものの根本的な予防はならず、壊血病は原因不明の病のまま250年にもわたって長期航海においては慢性的に起こっていました。

壊血病においての転換期は1750年から1760のイギリス人海賊ジョージ・アンソン提督による世界周航において1900人の船員のうち1500人を失うと言う歴史上最悪の壊血病被害を被ったことが挙げられます。
この航海は様々な障害からここまでの被害をだしたのですが。この航海をきっかけにイギリスは壊血病の治療法を模索し始めます。

イギリス人海軍医ジェームス・リンドは12人の壊血病にかかった船員のサンプルを用い、有用とされる様々な方法を試しました。そのなかには海水を与えるものや硫酸溶液を与えるものなど怪しげな方法もあったのですが。オレンジとレモンを与えるというものもありました。
この12人の患者の中でオレンジとレモンを与えたものだけが回復したため、壊血病の治療法がようやく見つかったのです。

しかし、治療法は見つかったものの、この治療法が確立することはありませんでした。
というのも、体液理論によって体系付けられた当時の医学において患者の体質が重視されていたからです。体質によって有効な治療法が異なるというのが当時の医学者の考える常識であり、これが最大の障害になったのです。
さらに、新鮮な柑橘類をどのように保存するかという現実面での問題も大きかったのです。
壊血病の予防に柑橘系の新鮮な食べ物というのは費用的に採用しづらく、イギリス海軍は結局発酵していない麦芽を採用しました。しかし。これにはビタミンCが含まれていませんでした。ちなみに、」1772年から1775年に掛けてクック船長に同行した船医ディビット・マクブライドもこの方法を支持しています。

当時、ビタミンCを保持したまま保存が利く食料はザウアークラフトというキャベツの酢漬けだけでした。オランダ海軍はこれを積荷に加えていました。効果はあったようですがこれも確証があって用いたものではなかったようです。
この食料を積極的に用いたのがクック船長ことジェームス・クックです。1768年から1771年にかけての第一回南太平洋航海において、クック船長は壊血病を無くすために推奨される全ての予防法を試しました。クック船長がザウアークラフトの効用に気が付いたかは諸説ありますが。積極的に船員たちにザウアークラフトを食すように指示していた事は確かです。結局、壊血病による死者を一度も出さなかったこの航海においてザウアークラフトが積荷に存在したため、クック船長の偉大なる名声とともにこの食料は後の長距離航行の定番品となったのです。
イギリス海軍は後にザウアークラフトをライムジュースに切り替えますがそれは大分後の話です。

イギリス海軍はザウアークラフトを用いましたが。
しかし、その知識を体系的に生かした時代はさらに後になります。
実に壊血病の発見から250年も経っていた、1785年から88年まで活躍したフランス人太平洋冒険家ジャン・フランソワ・ド・ラベールがとっていた対策が「陸の空気を吸う」という的外れで原始的な方法だったのです。

壊血病がビタミンCの欠乏とはっきり明らかになったのは1932年、400年も後の話です。

いかがでしたか?
当時の航海は非常に恐ろしいもの、まさに、死と隣り合わせのものだったのです。
海賊あり、現地人の襲撃あり、壊血病もあり、そもそも、嵐や座礁、食料が尽きての頓挫など本当に当時の船乗りを思うと素晴らしい生命のエネルギーを感じます。
何人が生きて帰ってこれるか?それとも全員死ぬか?というべき極限の航海に乗り出す人々のエネルギーは人間の挑戦という文脈において現代でいえば宇宙への航海に通じるものがあるかもしれません。
これまでの人間の挑戦は、現代の我々が想像するより遥かに過酷な状況においてもなされてきたものです。想像を絶する挑戦はこれからもなされると思いますし、そういう人間的なエネルギーは素晴らしいと個人的に思います。
一航海が生死を分け、その航海が莫大な富と名声をもたらす。当時の気分に浸りながら航海するのもいいのかもしれません、と言いながら私は全くの休止中ですがw

それでは良い一週間を!

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