ドノロンパンのたぶん更新しない日記

説明なんか無い。

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固定@1募集のお知らせ

しばらくだらだらやっていますが。
まともに活動できないていません。いかんともしがたい状況が続いていますので、
とりあえず募集。

現在固定艦隊でやってくれる方を1名探しています。
面子はジーダーコヴァン、まさGT、ジラルリーニョ
肉での勝率は平均して5割以下4割程度の弱小艦隊です。

活動は土日、スカイプありでやっています。
日曜は開始が遅れる可能性が高いです、
毎回助っ人の方に助けてもらって活動するのは厳しいものがありますので固定での参加募集をします。

といっても、弱小艦隊なのでスーパーマンが来てくれるとは期待しておりません。
条件はそれなりにMAXに参加している方で攻撃と防御をやっていただける方、スカイプ推奨、が条件です。

あまり期待してませんが一応ここに書いておきます(それほどどうしようもない状態)

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Yo ho yo ho a pirates life for me.♪ 俺たちゃ海賊 第一回


さて海賊生活に触れる前に、当時の一般商船の話をしなければならない。
1687年から1740年の海賊黄金期、一般商船船員の平均的な月給は25~55シリング、年収15-~35ポンドとなっている。
彼らは過酷な労働条件下であるが一体どれくらいの価値のある給与なのだろうか?。
次に陸の生活を見てみよう。
裕福な商人は年収100ポンドを超えるが、一般の職人や賃金労働者は家族4人がやっと食べていける程度に稼いで年収80シリング4~5ポンドほどである。

さすがにこれにくらべれば何ヶ月にも及ぶ長い航海と、自分の命を賭けなければならないリスクはあるが、金も土地も学も無く、持っているのは頑丈な体ぐらいという男達にとって、年収20ポンドというのはそれなりに魅力的ではある。現在でいうところのマグロ漁船に近い感覚で見てもらえれば大体わかると思う。
ちなみに当時の英国貴族の平均年収は2800ポンドである。

だが、商船には明確な船主がおり、もちろん船員の月給は船主が払うわけであるが。その船を船主の意図したとおりに扱う現場指揮官つまり船長は特別に雇用しなければならなかった、一般船員はその場で集められた有象無象の集団であっため、まとめ役は必須だったのである。
そのため商戦は船長、甲板長、船大工ら特別職に指揮命令系統が約束され、その下に船乗りが配置されるという確固たる縦社会であった。
この構図は洋上という限定された空間において船主直下の船長に権力が過剰に集中してしまうという結果が容易に想像出来るが、船主側も船長に指揮権を与えることで全体的な賃金の支払いを抑えることができると考えたことから船長、甲板長などの役職者と一般船員では待遇が全く違った。

図式にすると
・船主(貴族、商人が出資いわゆる株主)
・船(出資された以上の利益を生む、会社)
・船長(目的を達成し積荷を持ち帰る任を直接請け負った役職者、成功報酬有、取締役といえる)
・一般船員(季節労働者、月給制、船主に属しているわけではない非正規雇用者)
といった具合に見てもらうとわかると思う。

これは私略船であっても同様である。(最もこちらは軍隊色が強かったが。)

要するに貴族たちは自分達の目の届かないところで行われる航海という事業を行うにあたってその代理として船長を選出したのだ。
食料、懲罰、賃金に至るまで全ての権利が船主から船長に移された。

こういった構造的な問題から一般商船員での待遇は劣悪だった、貴族と船長の利益と船員の利益が噛みあっていなかったからだ。安全で快適な作業環境で稼ぎたい船員と経費をかけずに事業を遂行したい船主の意向は真っ向から対立してしまう。
その為、船長に過大な権限が与えられるに至った。

結果的に当初の契約など洋上では無視され、食事や娯楽は厳しく制限され、理不尽な懲罰行動が過激化した。懲罰的に賃金を減らしたり払わなかったりする権利を船長に与えていたため賃金の横領や搾取さえ当たり前であった。
船長は成功報酬が約束されていたし、また船主たちも基本的に成果しか興味は無かった、船員が何人死んでも積荷が港に届けさえすれば良かったのである。

こういった背景から合理的に見て如何に船員を低予算で使い潰す能力が有能な船長の条件となった
当然ながら強権的な能力を発揮できる船長が有能であるということになり、船上では理不尽な搾取、懲罰行為の繰り返しや経費のちょろまかし、こういった行為は日常茶飯事となった。
商船上の船長はまさしく暴君と化していた。

船長は船長室で豪華な食事を平らげるが、船員は狭い船室を交代で使い、漬物、干し肉を毎日食わされる、少しでも航海日数(ノルマ)を減らすため不休で働かされる、怠けへの見せしめとして肉体的懲罰行為(ムチ打ち)を容易に行う等。
はっきり言って合法であるという点で商船の船長は海賊よりよっぽど性質が悪いといえる。全般的にこの時代の商船船長はこの待遇格差から船員からは良く思われていなかった、もっというなら恨みをかっていた。
かといって反乱を起こしてしまえば、船長を駆逐したところで積荷を本国に届けなければ金にならないし、報酬も支払われない、その上罪人、貴族を敵に回すとなれば重い刑罰は避けられない。
本筋とは関係ないがこの時代の商船はいわゆる三角貿易時代であり奴隷貿易が行われていた時代であったことも明記しておこう。

この理不尽な船上生活に嫌気がさしていた船員はなかなかに多かったのである。

では、海賊はどうか?

報酬は?待遇は?

海賊には船主というものが存在しなかった。
そのため、彼らはなんらかの責任を負った集団ではないし、明確な利益目標も持っていなかった。(もちろん野心はあるが)
月給を払う船主がいないのだから、自分達の稼ぎはそのまま自分達へフィードバックされた。
そのため彼ら権限はなにも保障されておらず、彼らは自分達で自由に物事を決めることが出来た。
例えば、船長だけが豪華な食事、水夫達は不味い飯という極一般的な商船の身分制度を履行する理由は何一つなかったのである。また、これは報酬に関しても同様だった、海賊行為に成功したとして、略奪品がだれに所有権があるのか?といえば俺たちゃ海賊というとおり、もちろん海賊達の報酬となった。

極端な例を挙げよう。
海賊ジョン・エイヴァリはインド、ムガール帝国の船団を拿捕し、500万ポンドの財宝を略奪することに成功した!。
一介の船乗りの月給が20ポンドであるのに対し500万ポンドである、貴族の年収をもはるかに上回る戦利品をたった一度の海賊行為で手に入れた。海賊達は2000ポンドから5000ポンドの分配を得ることが出来た。
もちろん、これらは最初から約束された報酬ではない。
航海に出て獲物に恵まれないというのは容易に想像できるはずだ、そういうときは大抵沿岸の町や村を襲ったが、物資補給目的で開拓地の村での戦利品は微々たる物であった。

だが、この一見すると良いことずくめの権力者が存在しない自由・平等には弊害があった。
自由、平等であるがそれゆえに、何かをさせる、させないという基本的な事柄をどうやっても権力なしには履行できなかった。結局のところ自分以外の他人をどう扱うかを自分達で決めなければならなかったのだ。
想像してみて欲しい、国籍も人種も言葉もバラバラな筋肉モリモリのおっさん達が何日も同じベットで寝起きし、狭い船内を風呂も入らず徘徊し、同じ釜の飯を食う、どうやって共同生活をおくるのだろう?

そうだ、勘の良い方ならすぐに思いついただろう、有名な海賊の掟のを用いたのだ。

海賊の掟とはバッカニア時代から海賊達の間で用いられたもので、基本的な海賊達の決め事を掟として定めたものだ。
要するに国家に憲法、海賊に掟である。

バッカニア時代はいつだっただろう?
そう、1650年代である、フランス革命は?1789年!!!海賊達は実に先進的である。
(この海賊の掟は無法者が民主制を
先取りした奇妙な産物として欧米ではとても有名で、パイレーツオブカリビアン等、海賊映画で散見することができる。)

海賊達は自分達の定めた海賊の掟を守ることによって共同生活を円滑に行うことに成功した、無制限の自由を不自由に縛ることで共同作業を遂行することが始めて可能になったのである。
基本的なバッカニア規律は三つだ。
1) 戦利品を平等に分配する。
2) どこに航海するかは投票で決める。
3) 特別分配は事前に取り決める、船医や大工などの特別職、戦闘で怪我をした者には通常の分配金より多くの報酬が取り決められていた。

これを発展させたのが、18世紀の海賊達だ。

彼らはかなり細かな取り決めを行っていた。
何故なら、ある海賊がただ単にバッカニア的な古い掟で誘ったとしても、さらにメンテナンスの行き届いた掟を掲げる海賊がいればそちらのほうが魅力的に思われるからだ。
こうして、海賊達の掟は次第に水夫達に魅力的なものつまり、不自由なものになっていった。
最も有名なものはロバーツ・バーソロミューのもので、書き出すと切りが無いが。

・ 投票権は全員平等に有し、食料、酒に関してもこれを得る権利を平等にもつ。(もちろん船長もこれに含まれる。)
・ 窃盗の禁止(死罪)
・ 夜間の飲酒喫煙禁止。
・ サイコロやトランプ等金品を賭けた賭博禁止。
・ 女性の乗船禁止
・ 武器の手入れを行うこと
・ 戦闘からの逃亡の禁止(死罪)
・ 喧嘩の禁止、いさかいの決着は決闘で行うこと。
・ 全員が1000ポンドの利益を得るまではこの生き様を辞める話をしてはならない。
・ 船長と甲板長は分配額を各水夫の2倍とする。

といった具合である。
ロバーツの掟は特別細やかに規定していたことで有名だが、どの海賊であっても同じような掟があり、逆に言うなれば無法世紀末な船上では掟なくして満足に航海すらできなかったということである。

大前提として基本的に甲板長、船長は海賊達の投票によって選ばれるよう規定されていた。
(一部に私財で船を調達した海賊もいるが。基本的に海賊船は奪った船である。)
その為、船長は海賊達に選ばれなければならなかった。
よくある、誤解の一つに海賊船長が無意味に部下を殺す、悪辣非道の悪魔といったイメージがあるが、そんなことをすれば現実では解任一直線である。
だが、逆に安易に船員に媚びるような船長は無能だと判断されてしまう、ここは政治の舞台ではない!船上だ。
海賊船長には戦闘で商船を制圧する士気能力、商船の航路を読む能力、そして運!が必要とされた。
船長にとって戦闘時は特に水夫以上の能力を示す特別な努力しなければならなかった。時には勇猛果敢に、あるいは残虐非道に振舞い己の力を誇示する必要があった。

だが同時に船員達にとっても平等をもたらす船長であり、同時に尊敬を得られるような振る舞いをしなければならなかった、なにせ同意海賊の一人1票は掟によって確定事項であるからである。

このような背景から商船の船長のような搾取はもってのほか、見せしめの体罰で権力を得ることは不可能だ。
船長派を作って多数派とし船長としての地位を確定したとしても少数派が離脱してしまえば(こういうことは往々にしてあった。)話にならない。
すべては、海賊団のための船長であり船長のための海賊団では無いのだ、船長(船長立候補予定者)は選挙のため引いては海賊団全体のために振舞う必要があったのである。

前項で海賊達は敵船長を逃がしたエドワード・イングランドの行動に怒り船長解任投票を行ってエドワード・イングランドは船長の座を追われ無人島に置き去りにされた。と記したが、こういった背景から船長といえど投票で解任され無人島に置き去りにされることさえありえたのである。

そのため、戦闘時以外となると船長はただの水夫と同様に扱われた。
一般水夫とねぐらをともにし、同じ部屋で寝、同じ飯を食った、戦闘時以外は一介の水夫をなんら変わりない船上生活を行っていた。
これもよくある誤解だが海賊船には船尾に船長質があって、壁に世界地図を張り地球儀を飾り提督机を配置したような豪華な船長室はほとんど無かった。(これは海軍の提督室だ。)大船団の船長ともなるとそうでもなかったが、所詮はスループ、お察しである。
獲物の取り分は2倍であるから単純に考えて非常に良い地位であるが、2倍の取り分に見合う働きをするかどうかは、船員からの敬意、カリスマ性も含めて非常に厳しい選挙戦を勝ち上がらなければならなかったのである。


どうであろう?
読者達から見て海賊船長の見方は少しは変わったかな?
海賊船長は民主的な選挙で選ばれた大統領であった、と言っても過言ではない。

次回ももう少し海賊達の洋上生活を海賊個々の視点から見てみよう。

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海賊旗を掲げよ!

海賊旗といえばジョリーロジャー、ONEPIECEにだ評されるように海賊というカテゴリーを一括内包したイメージとして現在に伝わっているこの旗であるが、実際のところ歴史的に見れば点の範囲である。

ジョリーロジャーと呼ばれる海賊旗は基本的に18世紀初期、1700年から1720年代のごく短い期間でしか使用されなかった。
1690年から1700年になり始めて無国籍の専門海賊集団が活動し始めたが、1720年代も後半になると大規模な海賊集団そのものが駆逐されてしまったからだ。
その間わずか30年ほど、古代から現代まで続いている「海賊」という非常に長い海の略奪者の歴史から見てしまえばジョリーロジャーは非常に短い期間しか使用されていない。


現在最も有名な海賊旗はサミュエル・ベラミー、もしくはジョン・ラカムの海賊旗かと思われる(これが現在のスタンダードな海賊旗として認識されているのはピーターパンや宝島などの影響だろうか。)

ジャックラカム
ジャック・ラカムの海賊旗

エドワード
サミュエル・ベラミーの海賊旗


だが、海賊旗というのは海賊によって異なる、確かにサミュエル・ベラミー、ジョン・ラカムの海賊旗はデザインとして素晴らしい、逆に超有名海賊エドワード・ティーチやエドワード・ロウ、ロバーツ・バーソロミューなんかの旗はこう言っちゃなんだがとてもダサい。

ティーチ
エドワード・ティーチの海賊旗

バーソロミュー
ロバーツ・バーソロミューの海賊旗

エドワード
エドワード・ロウの海賊旗

基本的に黒旗に様々な図柄を描いた海賊旗であるが海賊集団によって別個の旗を使用し、それぞれの所属を主張していたのである。
あの旗は麦わら海賊団の船、この旗はエドワード・ティーチの船といった具合である。

黒旗より前の17世紀にカリブ海を荒らしまわったバッカニア達は赤旗を用いていた。
中世の時代から現在に至るまで船に掲げられる旗は所属と信号であり、所属旗の他に船の状態を示すために使われている、当時の赤旗は戦闘を表す状態旗であり、バッカニアや私略船は「降伏せよ、抵抗すれば死を」という意味で赤旗用いていた。
なぜ、この一見すれば異様なデザインの黒旗が使用されるようになったのであろうか。

元々この年代にはスペイン継承戦争の影響もあり、スペイン・イギリス・フランスの私略船達も活動していた。またスペインのガルダ・コスタと呼ばれる沿岸警備隊も臨検と称し積荷を強奪するなどカリブ海沿岸において海賊まがいの行為を行っていた。
だが、彼らはこのジョリーロジャーと呼ばれる黒旗を積極的に用いることはなかった、一体何がそうさせたのだろうか。彼らと海賊達には何の違いがあったのだろうか。

黒旗は彼らが完全なる海賊を示す非常に手軽な手段であった。

海賊行為に及ぶ上で一番避けなければならない事態とはなんだろう?
商船を取り逃がす?海軍に見つかる?船が座礁する?どれも危険ではあるが、赤旗に示される「降伏せよ、抵抗すれば死を」という脅し文句の通り、海賊行為そのものにリスクがあった。

もちろん海賊船は武装しており、商船が用いた脅しのハリボテ大砲に紛れた申し訳程度の大砲や、反乱防止のため少量しか積まれていない小火器など相手にしない武力を持っていた。
だが、実際に大砲を撃って商船を沈めてしまってはお話にならない、彼らの目的は通商破壊ではない、略奪である。


砲撃戦や接舷後の白兵戦闘は海賊集団としてみれば圧倒的な制圧であっても、個々の海賊で見れば避けたい事態である、接舷して白兵となれば少量の小火器といえど自分に当たることは願い下げだ。船上で鍛え上げられた水夫に建材で殴られるかもしれない、ナイフで切られることもある。洋上という空間と非衛生的な船上という特性からちょっとした怪我が致命傷になることも大いにありうる。
また、しょっぱい火砲の砲撃といえど海賊からすれば海賊船は唯一の財産であり、なるべく傷つけたくはなかった。
彼らにとって海賊行為は戦争ではなく、継続した生活なのである。

そのためには「わかりやすく、無条件に相手を降伏させる必要があった」のである。
この時代の商船には様々な外敵が存在した、略奪者として見れば私略船もガルダ・コスタも海賊も積荷を狙う点では変わりが無い。
だが、黒旗を用いる海賊達は自分達が最も危険な存在であると知らしめる必要があった。

例えば、私略船には所属する国家や船主がおり、大抵は貴族や軍人であったため悪評が立つことは避けなければならず、戦闘後の降伏が認められる可能性は高い(この時代になると、私略船であっても悪評が広まると海賊行為禁止法に引っかかってしまう。)ガルダ・コスタはそもそも沿岸警備隊であるので無意味な殺戮は認められていない。

だが黒旗を用いる海賊達の所属は船であり、いかなる法に縛られることは無い、つまりいかなる残虐な行為も彼らには問題なく行えるし、それを訴える先も無い、論理的に彼らを縛るものは無く、制圧した船員を殺そうが殺すまいが結局は縛り首である。
「降伏せよ、抵抗すれば死を」さらに言えば「降伏せよ、抵抗すれば苦痛をもった死を」という非情なる信号を送るには最適な旗であり、また実際にその効果は大きかった。
海賊が黒旗を掲げるのはノーリスクである、もともと海賊である彼らには帰る本国も無く船主もいない、サーの称号が欲しいわけでもないし、どの国の海軍に捕まっても縛り首である。

だが逆に、私略船やガルダ・コスタが黒旗を掲げるのはハイリスクである、彼らには帰る本国や植民地があり私略で得た資金でまっとうな暮らしを送ることが最終目的である。法に則った行動をしなければならず、単なる海賊となることは許されない。黒旗を掲げることは海賊とみなされるためこれを掲げることは非常にリスキーである。

この黒旗のブランドイメージは徹底して守られた。
黒旗を掲げ、「降伏せよ、抵抗すれば死を」このメッセージを宣伝効果として利用しなければこのおどろおどろしい黒旗に意味は無い。
海賊たちは黒旗に対して抵抗を試みた商船に対して無慈悲に振舞った、そうしなければ黒旗の効果は無くなるし、抵抗しても降伏が許されるなら抵抗する、という事態になりうるからだ。
ロバーツ・バーソロミューはオランダ船が抵抗したため4時間にも及ぶ戦闘を行い勝利し、降伏したものを拷問した上で後皆殺しにした。

エドワード・ロウにおいては無条件で降伏した船においてでも、抵抗を提案した船員を聞きだし、その者の耳を切り落としさえした。

エドワード・イングランドの最期が最もこの旗の重要性を示しているだろう。
エドワード・イングランドはバッカニア時代から活動した非常に有能な海賊で1720年代には最大20隻にもおよぶ船団を率いた大海賊であったが、インド洋で東インド会社の大型帆船カサンドラの捕縛に際して激しい抵抗にあった。
慣例であればこの船の船員は皆殺しだ、特に抵抗を決断した船長に慈悲は無い。だが何を思ったのかエドワード・イングランドはカサンドラ号マクレー船長に情けをかけいくらかの積荷を与え逃がしてしまった。
海賊達はこの行動に怒り船長解任投票を行ってエドワード・イングランドは船長の座を追われ無人島に置き去りにされた。

 ジョリーロジャーという黒旗は「自分の船を守ろうと試みた船員は何人であれ、何ら慈悲は与えられない。」という海賊達の基本方針を示しているのである。
 
そして、多くの場面において海賊達は商船が抵抗しなければきっちり約束は守った。そうでなくては黒旗の意味が無くなるからである。商船側がどうせ殺されるなら抵抗しようと考えてしまうからだ。殺されるか降伏するか選べという選択を突きつけてこその黒旗にメリットが生まれるのである。
その点において海賊達は「信用」つまり約束を守ることに非常に気を使った、人質を取って身代金を要求する際も身代金が届けば必ず人質を送り返した。そうでなければ次に人質を取った時に身代金が届かないからだ。

実際この黒旗は非常に効果があった。

多くの商船船長、船員は私略船やスペイン人には戦う戦意を持てたが、黒旗を掲げる海賊に戦うとなるとその戦意は瞬く間に失われた。
商船船長はウィリアム・ワイヤー船長が部下に「未知の攻撃者が現れた場合、自分達の船のために戦ってくれるか?」
水夫たちは「スペイン人相手なら命がけで戦うが、相手が海賊なら戦わない」と即座に答えた。多くの場合、船長が抵抗を指示しても水夫達が海賊に恐れをなして戦意を消失してしまった。

海賊ネッド・ロウ船長は数隻の船団を急襲したが、彼らは銃を一発も撃つことなく、即座に降伏した。

なんとこれは軍にさえ及んだ、ある時フランスの駆逐艦2隻がロバーツ・バーソロミューの海賊船を違法商船と勘違いし追撃したことがあった。だがバーソロミューが海賊旗を掲げるとフランス海兵は瞬く間に戦意を喪失し、一切の攻撃を行うことも無く即座に投降した。
それほど海賊旗は恐怖として水夫たちに植え付けられていた。

おかげで海賊達の略奪行為に際し、ほとんどの商船は黒旗を見たとたん抵抗を諦めた。
船長が抵抗を指示しても水夫たちが怯えてしまい降伏せざる追えなかった。

これは海賊達が「自分の船を守ろうと試みた船員は何人であれ、何ら慈悲は与えられない。」という鉄則と黒旗のブランドイメージを守り続けたが故の非常に高い成果である。
これは抵抗した船員に慈悲を与えず、逆に降伏した船員には危害を加えない、その基本原則を守りつづけたイメージ戦略が大きく影響している。

彼らが海賊旗を掲げた理由、何故このような異様な黒旗ジョリーロジャーを使用したか、理解して頂けただろうか。
ジョリーロジャーは戦闘なしに略奪を行いたいという海賊の本心と、抵抗した船員には無慈悲な拷問と皆殺し。降伏して財宝を素直に渡せば非常に丁重に扱うという。無軌道な残虐性と、降伏すればきっちりと約束は守るという理性的な合理性にそったしたたかさ、相反するような二つの側面を内包していた。
ジョリーロジャーは残虐と誠実という奇妙な二面性を持っていたのだ。

それにしても、抵抗すれば無慈悲に皆殺し、どうして皆殺しにされたのに、こういった話が誰から伝わって広まったのだろう?これは後に海賊達のイメージ戦略で語るすることにする。

では次に、海賊たちの洋上生活について見ていこう。
君は海賊だ、洋上には何があるのか?
船長は暴君?海賊達はモヒカンの荒くれ者?
意外な海賊生活が明らかになる!

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海賊達の生存学

まず、海賊について語ることは、概ねにおいて正確な資料に即していないと言うことを記しておこう。

海賊は当然ながら犯罪行為であり、その犯罪記録を律儀に残そうなどという頭平和な海賊などいるわけも無く、必然的に海賊たちの世界は口伝と言う形でしか現在に伝わっていない。
いうなればエピソードであり、伝説だ。
海賊について書かれた本は幾多あるが、実在した海賊達について詳細に書かれた書物は1冊しか存在していない。キャプテン・チャールズ・ジョンソンの「海賊史」である。
この文献は非常に歴史的価値が高いことは確かだが、脚色も多く疑問視されている部分も多い。
これを読む際にはまずこのことを頭に入れておいて欲しい。


次にここで扱うのは16世紀の私略海賊ではない、17世紀のバッカニアでもない、勿論バルバリア海賊でもなければノルマン海賊(ヴァイキング)でもない。
いわゆる船が国籍の海賊、正真正銘の海賊をとりあつかう。

要するにジョリーロジャーを掲げる18世紀の海賊である。

ちょっと勘違いしている人もいるかもしれないが、いわゆるメジャーなイメージの海賊pirates、例えばONEPIECEであったりピーターパンに出てくる海賊なんかはこの18世紀の海賊がモデルである。
こいつらは16世紀の代表的海賊フランシス・ドレークやジョンホーキンス等の私略海賊privateerとは実は全然違う。

この違いを説明するならば。

船主としての権利が海賊側にあるかどうか?
と言う問いにYESならば海賊、そうでないならば私略船と大雑把に分けることが出来る。

そしてこのpiratesとprivateerの中間の位置にバッカニアが存在する。
17世紀にカリブ海を荒らしまわった無法者のバッカニア達は、無法者という範疇ではあったものの実際のところスペインの輸送船と入植地を狙ったものであり。(他に目ぼしい獲物がなかった。結果的にトリデシャリス条約に縛られていたイギリスはこれを利用した。)
バッカニアは間接的にイギリス・フランスの後ろ盾を得たスペインへの攻撃が主であった。もちろん、彼らは後ろ盾を得ただけであり、行った行為は全て海賊が勝手にやったこととされた。だが、イギリス領ジャマイカのポート・ロイヤルでは海賊が排除されることも無く、むしろスペインから奪った金銀と引き換えにイギリス総督府が私略免許を与えていたため、現在のイメージの海賊とは違い私略海賊にかなり近い武装集団であった。

このバッカニア達の楽園のようなカリブも次第に終わりを迎える、1684年のラティスボン条約でフランスとスペインが和平を結びイギリスとフランスが対立し始めたこと、略奪の繰り返しでスペイン植民地が疲弊し、十分な稼ぎを得られなかったこと等が理由とされるが、イギリス領総督が1680年の海賊行為禁止令を境に私略免許を与えなくなったことが大きく影響している。
スペイン領パナマを攻略したことで名をはせたバッカニア、ヘンリー・モーガンがイギリス領ジャマイカ副総督となりバッカニアをポート・ロイヤルから追放、ついには1699年の海賊取締令も出され、バッカニア活動は規模を縮小していく。
(後年に元バッカニアのバハマ総督ウッズ・ロジャーズが黒髭エドワード・ティーチを追い詰めナッソーを陥落し、カリブの海賊に事実上の終止符を打ったこともまた皮肉である。)
この後カリブのバッカニアはなりを潜め、カリブを離れたバッカニアはインド洋や大西洋アフリカ沿岸などで活動するようになる。これらのバッカニアは私略免許も無ければイギリスやフランスの後ろ盾を得ない海賊であり、無国籍・他民族といった様相を呈し始めpirates化していくのである。
カリブに海賊達が戻ってくるのは18世紀になってからである。ほんの10年ほどだが、しかし、彼らはバッカニアではなくpiratesとして戻ってきたのである。

17世紀も終盤になるとイギリス・スペインはスペイン継承戦争に突入しカリブ海やインド洋は一時的に海軍の及ばない無法地帯となった。
また、この戦争でイギリスはフランスを対象とした私略活動を開始している。

このころに活動していたのがpiratesつまり海賊である。
彼らは本当に無国籍の寄席集まりのような集団で、無差別に獲物を求めて海賊行為を働く正真正銘の海賊いわゆる現代のメジャーイメージにおける海賊達である。
もちろん、バッカニアとは地続きであるし、バッカニアからパイレーツになったものも多いので幾分記述が曖昧になることはご容赦いただきたい。

ここで始めて海賊たちが海賊旗いわゆるジョリーロジャーを掲げたのである。

代表的な海賊として名を上げるなら。
ロバーツ・バーソロミュー
エドワード・イングランド
ジョン・フィリップス
サミュエル・ベラミー
等である。

例外的な位置にウィリアム・キッドが存在する。スペイン継承戦争中のイギリスがフランスを対象に私略活動を行っていた中、キッドは私略船としてイギリス貴族達から出資を受けて船を調達したが、行った海賊行為は当初定められた私略免許に即しておらず、
(フランス船対象の私掠免許しかもっていないにもかかわらず無差別に海賊行為を行っていた。)
結果的に行った海賊行為は全て非合法とされロンドンで首吊り処刑された、私略船を名乗ってはいたが実際的にはただの海賊であった。

さて、ではこの国家に属さない無法者のpiratesであるが、イメージと現実というのはしばし乖離する。
現代の海賊達のイメージとは凶悪な船長、残虐無比な獣な船員、自由気ままな航海、無法者の略奪者、といった具合だ。
これはキャプテン・チャールズ・ジョンソンの「海賊史」の記述を元にしている場合が多いがこの海賊史はある一面では非常に正確だとされているが、一部の例外的な狂気の海賊、例えばエドワード・ロウなどが大きく取り上げられ実際の一般的な海賊生活がどのようであったのか、そこまで踏み込んだ書物は以外と少ない。

だが海賊達はこの事実とは違う世間イメージを自らのコマーシャル戦略に積極的に取り入れていたため、様々な伝説とともに海賊列伝は非常に華やかなものとなり、長らくそのイメージは事実であったかのように伝わっていた。
では実際海賊達はどのような集団であったのか?
君がジョリーロジャーを掲げる海賊一味だったら?

そういう目線で海賊達を見ていこう。

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艦隊別攻略法とかそういうの。

PLXも解散してしまった。
わたしもこれから固定に入るほどIN率を保てない。

そもそもベストコンディションで模擬が出来ない以上、
そういった要因で負けたり、他メンバーに迷惑をかけるのは私の信条に反するので却下。

なので出るなら多分野良。

なので情報開示。

N鯖の固定艦隊はほぼ限られており、固定メンツ、それなりの攻略法をそれぞれ用意してあるのが普通、私の個人的な経験とかそういうもの。艦隊員の意見じゃないです。


紅ポ

尾花ピッチングコーチ モストヴォイ ロメリーノ ともにゃあ フライデー HARU1110 我意

特に攻略法がない非常にオーソドックスな艦隊、艦隊内で重要度に差がついていないので何処を攻めても同じ反応が返ってくる。負けるときは普通に負ける、普通に勝てない。ただ、終盤のフライデー砲この人は何か持っているタイプの人。

б桃б
 
ビラボン レオマリ wくぇtぽう MAX みるき プラティニ

ぶっぱにはぶっぱで対抗、全体的に貫通入れっぱなしの傾向がありおそらく割り切ってこういう戦術を選んでいると思われる。ギャンブルが出来ないf中心の堅実な艦隊に火力振り装備スキル構成を武器に先手を取る戦術。こういった戦術の攻略のキーになるのは攻撃的キャノンが自分の艦隊内に存在するかどうか。キャノンが守りに回ると一方的にボコられて終わる。


OFA+α

モンキー・D・アバレン りんりん☆彡 ジークフリード たぐひろ カーリー かみゅ。 ウッドブリッジ 世間知らず

たぶんN鯖最強だと思う艦隊。
普通にやって勝てないので多分普通にやったら勝てないんだろう、そこをどうするか、カロ3混ぜ2構成かジークさんがキャノ5かで変わる。奇策で勝負を挑むなら全員通常防御でジーク完封一点突破がいいと思っていた。そりゃ実質カロ4とか5に連弾キャノ2でまともにやっても火力的に勝てるわけがない。
けれど、そうやって1勝とっても根本的に勝ち越しは出来ない気もする。勝ち越せている艦隊はどうやっているのだろうか。



自由民主党

小泉純一郎/しゅたっとふぇると/ヴェルソー/タカヲ/ラグ・バーツ/まぬけのさひろ/Bobbin

しゅたっとふぇるとさんがいるかどうかで艦隊の性格が変わるのでなんともいえない。
いるときにガチで噛みあった試合が少ないのでなんとも難しい。
とても弱かった時代にボコボコにされていた艦隊NO1。
基本的にはタカヲさん狙いを採用していた。攻撃センスが非常に高いので早急に処理したい位置。
バランサーであるヴェルソさんや小泉さんを以下に翻弄できるかが勝負。
大会でものすごく強い、E鯖艦隊ととOFA戦、仕込み艦隊に2連勝、あの試合は個人的に殿堂入り。
YOUTUBEに上げて欲しい。

La fuerza

カシン シベルリン ヴォルフ マルクゴンサレス アルヴァトス Ryoji

N鯖最強候補

非常に堅実、特に白兵囲みを好むのでそれにあわせるかあわせないかで話が変わる。
何においてもf中心の戦術なので火力装備が先手を取り、fを振り回せれば勝機が見える。
本当にこことの勝負は、先手を取り振り回せる展開にもっていけるかどうか。
白兵ごった煮になるとRyojiさんを浮かせる絶妙の白兵コントロールをしてくるので、白兵囲いに付き合うなら我慢強い精神力と耐久コントロール能力が求められる。
ただしカシンさん艦隊内ではちょっと性格が違うかなと思っていた。
白兵防御重視でありコンボ戦術、つまり2人浮きじゃないとこちらは死なない。
なので火力装備で風上抜け一発でもっていくのが最善手。
サーヴェイ後の攻略法はまだ見つけていない。というか私のIN率が落ちてしまった。

Honest

heventh・yt・thanks・イグレリア・アークロイヤル・デュランティ・HAIBI

非常に強い艦隊
勝った試合あっただろうか。
バランスがよく、特にこだわった戦術も特に無いように見える。
ただ、浮くカロネードが多く、IN目のyt・thanksさんやheventhさんが中で置いておかれる展開になりがちなので、
攻略法は初手キャノコン狙いが良いと思った。
特にytさんへのfが距離的に遠い場合が多く、そもそもキャノンは狙われないという前提からのカロ浮き戦術なのでここを突ければ一発でもっていける。浮いているカロネードを追いかけると向こうの土俵、ytさんかheventhさんを狙い、相手を無理矢理寄ってこさせてからの旗狙いなども次手として考えられる。なので圧倒的にIN狙い。
サーヴェイ導入後はよくわからない。

Archers!!

☆逆毛のアン☆ Kudryavka しましまん amuzo ЖxxネネxxЖ mora Zinovy

印象的にはめんどくさい艦隊。
対処がしにくい戦術ばかり好むのでそのたびにややこしい対応を求められる。
ただ、艦隊内に優先順位があるのが傍目から見てわかるので、fされない位置を突くのがこちらとしては良いかと思う。
優先順位が高い人を狙い他2人にfに来させてバランスを壊すという戦術もあるにはあるがfが非常に速いのであまり効果は無い、逆に自由なほうのカロを浮かせる展開になりがち、優先順位が低いほうを狙うほうがあっさりしている、と思う。



全体的にこんな感じ。
これが一体なんの参考になるかどうかは全くの謎。

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